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キャリアを振り返る ~自己理解の第一歩~

はじめまして。

現在、契約社員として損害保険会社で働く傍ら、地元のそろばん教室で副業し、

キャリアコンサルタントとしても細々と活動している、AYA です。

 

私が正社員から契約社員に働き方を変えたのは約5年前。

いわゆるワーキングママとして、仕事と育児の両立に奮闘する日々を送っていましたが、

40代が見えたタイミングで、10年先・20年先のことを考えた時に、

このまま同じ仕事を続けるという選択をすることができませんでした。

これまでの職歴を振り返るとともに、キャリアコンサルタントにたどり着くまでの経緯を綴ってみます。

 

新卒で入社した団体職員時代

就職氷河期といわれる2000年に、私は団職員として社会人のスタートをきりました。

四大卒の周りの友達が就活に苦戦する中、短大卒業後に、

その頃大好きだった「車」の専門学校に通っていた私は、一社目で内定をGET!!

あの時は本当に嬉しかったです。

 

配属先は、自動車共済(保険)の損害サービス部。

分かりやすくいうと、事故が起きた時にでてくる保険屋さんの仕事です。

その会社において、私は女性として初めて、対物調査(業界でいうアジャスターという職種)に採用されたのです!

自動車整備士の資格が必要とされる職種のため、そもそも女性の応募自体がなかったのだと思います。

 

損害保険会社において、今でこそ女性の担当者(保険契約者への対応や、相手方との交渉を行う人)はたくさんいるし、

女性活躍という時代の波に乗って女性の管理職も増えましたが、20数年前の損害保険業界はまだまだ男性社会。

まして、事故で破損した自動車の査定をする女性社員なんて皆無。

事故車両を修理する工場や、事故車両が搬送されるレッカー会社へ出向く度に、随分珍しがられたものです。

 

6年ちょっとの間、事故車の査定と示談交渉をし続け、

ようやく一人前といえるようにになった頃、私はその会社を辞めることにしました。

仕事はそれなりに大変だったけれど、収入は良かったし、何より安定していたのですが、

20代のうちに、なんというか・・・

外の世界を見たくなってしまったのです。

 

「違う会社で働きたい」

「損保業界以外を知りたい」

「違う仕事もしてみたい」

という願望ももちろんあったのですが、中学生の頃に抱いていた "外国で暮らす" という夢

どんな形でも良いので実現したくなった、というのが大きな理由でした。

 

ワーキングホリデーでオーストラリアへ

そんな夢を形にするべく、ワーキングホリデービザを取得し、2007年2月にオーストラリアへ

念願の海外長期滞在を果たしました

        Lennox Head in Australia

 

語学学校へ行ったり、趣味のサーフィンをしたり、少し働いたりもして、

まさにワーキングホリデーを満喫。

ただ、私は既に結婚していたため、夫を日本に残しての渡豪。

夫との交渉がうまくいかず、約7ヶ月の滞在で私のワーホリは終了しました。

 

たったの7ヶ月だったけれど、「外国で暮らす」という夢を実現することができ

それなりに満足はしたのですが・・・

外国で過ごす経験をしたことで、私の中で違う欲が生まれました。

 

それは・・・

「外国とつながっていたい」

「国際的な仕事がしたい」という思い。

それはやがて、「日本語教師になりたい」という願望に変化していきました。

 

日本語教師へのおもい

私の小学生の頃の夢は「国語の先生になること」でした。

幼い頃から、本を読むことや文章を書くことが好きで、一番好きな教科である国語の先生に憧れていました。

 

そして、中学校の卒業文集に書いた将来の夢は「英語とフランス語が話せるツアーコンダクターになる」でした。

小学生から習っていた英会話の影響と、中学2年生の時に一人で参加した

「フランス領の島を訪れる中学生だけのツアー」をサポートしてくれた、

コンダクターや現地に滞在するガイドの方々に対する強烈な憧れから思い描くようになった夢でした。

 

しかし、高校受験の失敗や、高校時代の過ごし方を誤ったせいで、

抱いていた夢や、憧れていた気持ちに蓋をするようになってしまったのです。

 

ところが、ワーホリを通して「海外で暮らす」という夢をささやかながら実現したことで、

意図的に思い出さないようにしていた言葉に対するおもいや海外への憧に向き合う気持ちが芽生えてしまったのです。

そんな時に知ったのが「日本語教師」という仕事でした。

 

日本語教師になるためにはいくつか方法があり、一番現実的な「養成講座」に通う方法を選択しました。

その費用(約50万円)を貯める目的もあり、手っ取り早く正社員になれる損害保険会社に就職しました。

2008年4月のことでした。

 

幸い長期の休みが取りやすい会社だったため、貯金をしつつも

サーフィンをするために毎年2-3回バリ島へ行くことができ、

英語やインドネシア語を学習することで、

外国語の習得の難しさとコミュニケーションをとることの喜びを知りました

 

そして、言葉が持つ力は想像以上に大きく

外国語を習得することにより世界が広がっていく面白さを知ったのです。

また、生活のために日本語を必要としている外国人がいる事も知り、

日本語教師になりたい思いが最高潮に達した2010年4月に「日本語教師養成講座」の受講をスタートさせました。

 

2年間勤めた損害保険会社の正社員を辞めて、週3回程コールセンターでアルバイトをしながら、

1年半かけて「日本語教師養成講座」を受講し、420時間の課程を無事修了することができたのです。

 

再び正社員に

養成講座を終了した後は、そのまま日本語教師の道に進むつもりでいたのですが、

日本語学校への就職を考えていた私にとって、非常に高いハードルが待ち受けていました

 

それは…

2011年3月11日に発生した「東日本大震災」の影響です。

日本語学校を取り巻く環境は一変し、求人が激減したのです。

経験もなく、四年制大学卒業資格を持たない私が応募できる求人はありませんでした。

 

時を同じくして、アルバイトで働いていた会社の上司から「社員にならないか?」と声をかけられました。

迷いましたが、私は社員登用試験を受けて、社員になる道を選びました。

年齢で言うと33-34歳。

出産や育児のことを抜きにして将来のことを考えるのは難しい年代に差し掛かっていました。

 

大手損害保険会社のコールセンター部門で正社員になった私は、

センターの運営や人材育成など、マネジメント業務に携わることに。

日本語教師になりたい気持ちは頭の隅っこの方に追いやり、日々の業務に追われていました。

 

四年制大学卒業へのおもい

そして、2013年9月に妊娠が発覚。

その頃の私にとってサーフィンは生活の一部で、海に入れなくなる不安はありましたが、妊娠となれば話は別。

何しろ命がかかっているので、妊娠発覚とともに、11年間続けたサーフィンをきっぱり止めました。

ただし、いつか復活することを固く心に誓いつつ。

 

そのかわり、「今しかできないことをしよう」と、ずっとコンプレックスだった学歴の壁を越えるべく

大学卒業の資格を得るために通信制の大学に入学することを決めました。

産休前は大きなお腹を抱えながら、仕事にスクーリングにレポート作成に試験にと、何かと忙しい日々を送っていました。

 

2014年5月に出産してからは、子供中心の生活になりながらも、保育園も決まって2015年5月に無事に復職

そして、2015年9月に、念願の学位を取得し、最短2年で大学を卒業することができました。

産休中にできる限り単位を取得しておいたので、復職後の4ヶ月でバタバタすることはありませんでした。

しかし、実母や夫がいなければ成し得なかったことなので、サポートしてくれたことにものすごく感謝しています

育休取得の趣旨とは異なる活動をしているという自覚はありましたが、学んだことを仕事で生かせれば…という思いで取り組んでいました。

 

電話応対との出会い

育休から復帰後の仕事はといえば・・・

コールセンターの品質管理部に所属が変わり、コミュニケーターに電話応対の指導をするようになりました。

社内的にはトークインストラクターと呼ばれ、定期的にコミュニケーターの音声をヒアリングし、

基準に則って評価をするというのがメインの仕事です。

また、グループ会社各社が参加する電話応対コンクールに出場する選手のトレーナーとして、

スクリプトを書いたり、ロールプレイングをしたり、

他部署へ展開する電話応対研修を一から作って講師を務めたりもしました。

 

もともと興味がある言葉に関わることができ日本語教師養成講座で学んだことも生かせるこの仕事

やりがいも見出していました。

 

キャリアコンサルタントを目指して

ところが、会社の方針で品質管理の仕方やスタンスが変わり、今までのような指導は必要ないということになりました。

転職も見据えて上司と面談をする中で、女性の上司から発せられたある言葉が、私の心に刺さったのです。

 

それは、

「今までのキャリアを捨てていいの?」でした。

おそらく、そこまで深い意味はなかったのだと思いますが、

この会社を辞める=キャリアを捨てる

という発想を持っていなかった私にとっては、なんというか・・・

ショックでした。

 

どうしてショックだったのか?

そもそもキャリアとは何なのか?

これからどうやって生きていくのか?

 

色々なことを考えて、模索し、様々なことを調べているうちに、

インターネットで見つけたのが「キャリアコンサルタント」でした。

 

国家資格になって間もない新しい資格で、

厚生労働省がキャリアコンサルタントを増やすために

年3回も試験を設けていて(2017年当時)、国家資格にしてはハードルが低め。

さらに、最大70%の教育給付金が受け取れる(2017年当時)というのも魅力的でした。

 

キャリアコンサルタントの資格取得を目指すため、会社を辞める決断をしました。

上司と話をした結果、2018年3月に退職することになったのですが、何かしらの働き口を見つけなければならず、

相談をしているうちに、社員→パート社員に働き方を変更してもらえることになりました。

週3パートタイムで仕事をしながら、週に2回、キャリアコンサルタントの養成講座に通う日々が始まったのです。

 

キャリアコンサルティング資格を取得~現在

キャリアコンサルタントの養成講座を受講し終え、数か月の勉強期間を経て、

「国家資格キャリアコンサルタント」試験に合格しました。

一度の受験で国家資格に合格できたことは、私の中で大きな自信になりました。

2019年2月に登録し、晴れて「キャリアコンサルタント」を名乗ることができるようになったのです。

 

当時子どもが保育園に通っていたこともあり、週3-4回は会社勤めをし、

さらに在宅でできるキャリコンの仕事を請け負っていました。

 

現在も会社勤めは続けていて、電話応対の評価をしたり、お客さまからの苦情の分析をしたり、

コンクールの時期には電話応対のトレーナーを務めています。

会社勤めを続けているのは、やっぱり好きな仕事だからなんだと思います。

私は言葉の力を信じているし、言葉を用いてコミュニケーションを取ることの大切さを知っています

学んだ知識やスキルを誰かに教え伝える仕事が好きなのです。

 

正社員→契約社員へと働き方を変えたことに後悔はありません。

子どもの成長を間近で見られた約5年間は、私の人生にとって大切な時間だったからです。

ただ、「私はこれからどんなキャリアを歩みたいのか?」「どう生きていきたいのか?」ということについては、

この5年間悩み続けました。

でも、キャリア理論や発達理論といった知識を得ていたため、悩んで当たり前だと思っていました。

今ようやく、悩みの出口が見えつつあります。

 

人生は一度きり。

だったら私は、「好きなことをして生きていく」

そんな思いでいます。

 

「なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない」(イギリスの作家:ジョージ・エリオット)

のです。

 

そういえば、妊娠した時に固く心に誓ったサーフィンの復活は、5年程前に果たしました。

復活までに紆余曲折ありましたが、私の人生の半分はサーフィンとともにあると言ってもおかしくないので、

諦めることはできませんでした。

現在は体力の低下と戦いつつ、技術を向上させることに力を入れています。

 

約半年前から、地元エリアで「そろばん塾の講師」もしています。

偶然の出会いではありますが、子どもたちにそろばんを教える仕事は楽しくて、大好きな仕事です。

 

さて、キャリアコンサルタントとしての今後ですが、

少し前の私と同じような悩みを抱えた、

セカンドキャリアを考える世代の方に向けて、セカンドキャリアを支援をする仕事をしていきたい

と考えています。

 

 

 

 

 

 

 

  • この記事を書いた人

AYA.S

40代共働き主婦。国立小学校に通う9歳男児の母。 大手保険会社のコールセンターで電話応対インストラクターをしながら、様々な副業にチャレンジ中。 主な保有資格:国家資格キャリアコンサルタント、CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)、日本語教師養成講座420時間修了、自動車整備士2級。 キャリア、資格、教育を中心とした、雑記ブログを書いています。

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